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画家と庭師とカンパーニュ

 

同級生との集まり

還暦を過ぎて、小学校、中学校や高校の同級生と会う機会が増えてきました.昨年の暮れにも中学校と高校の仲間の忘年会がありました。

中学校時代の同級生の集まりには久しぶりの出席でしたが、新年会や忘年会など年に3回も4回も集まっているようです。

高校の集まりは40歳くらいまでは毎年開いていましたが、それぞれが多忙になり仲間がみんな集まることはどんどん難しくなっていました。

それが一昨年あたりから声をかけるとほとんど全員が顔を見せられるようになっています。

嬉しくもあり、多少寂しくもありといったところでしょうか。

 

お互いの距離感

昔の仲間の一番よいところは、お互いの距離感が最初からちょうどよいところにあるということでしょう。

“間が持たない”とか“呼吸が合う合わない”というような言い方をしますが、その間合いが最初から比較的、適度なところにある場合が多いようです。

中学の同級生に歯科医がいますが、昔話をしているときはいいのですが、ときに“歯科医として”話す場面になると、空気が変わってしまいます。

彼との間合いが微妙に変化してしまうからでしょう。

 

キャンバスとジャルダン

「画家と庭師とカンパーニュ」というフランス映画を、お正月休みに観ました。

カンパーニュ(フランス語で「田舎」という意味)に戻ってきた画家が荒れ放題の庭の手入れをしてくれる庭師を募集していると、小学校のときのいたずら仲間だった男が応募してきます。

二人は互いを「キャンバス」「ジャルダン(フランス語で「庭」)」と呼びあい、日々触れ合いながらお互いの関係を深め、次第にかけがえのない存在になっていきます。

画家と庭師の関係はごく自然に対等です。

表向きは雇ったものと雇われたものという関係なのですが、それは重要ではありません。

画家として庭師として相対しているのでもありません。

小学校のとき一緒の仲間だったから付き合い始めたわけでもありません。

庭師は庭師の仕事をしながら、画家は画家の生活を送りながら、会話をかわし、お互いの人生に触れ合っていきます。

そしてお互いに適度な距離感をもった時間を過ごしながら、相手の存在によって自分の存在を確認するようになります。

 

昔の仲間の距離感

監督は「クリクリのいた夏」のジャン・ベッケル。フランス映画らしいとても味のある小品です。

おそらく昔の仲間というのは現在、利害関係もなく、それぞれの役割を演じる必要もないので、適度な間合いをとりやすい関係なのでしょう。

したがって、自身のアイデンティティー(というと大げさかもしれませんが)の確立に寄与してくれる可能性が高くなる存在ということができるかもしれません。

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