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淡如水-淡きこと水のごとし:山頭火と小西家

文人悪食の山頭火

嵐山光三郎 さんの「文人悪食(ぶんじんあくじき)」は、文人と食べ物のことについて書かれた本ですが、この中に種田山頭火も取り上げられています。

山頭火は自由律俳句をものした人です。

「分け入っても分け入っても青い山」
「うしろすがたのしぐれていくか」

などの句が知られています。

アメリカでは松尾芭蕉より有名な俳人で、
「まっすぐな道でさみしいーThis straight road,full of loneliness.」
という句が人気だそうです。

山頭火には食べ物の句も多く、日記にも食べ物のことがたくさん書かれています.

「野良働きの人々がお弁当を食べている、私も食べる」
「ふかしいもを買って食べ食べ歩いた、飯ばかりの飯も食べた」

と書いてあるのは昭和14年11月の「遍路日記」です。

俳句には

「あれこれ食べるものあって風の一日」
「いちじくの葉かげがあるおべんたうを持ってゐる
「こほろぎよあすの米だけはある」

などがあります。

 

山頭火とお酒

お酒も好きで、仏門に入ったのも飲酒と深く関わっています。

大正13年、山頭火は泥酔して熊本市公会堂の前を進行中の市電の前に立ちはだかり、大騒ぎとなりました.そして、この出来事をきっかけに報恩寺に住み込み参禅するようになり、その後出家得度して放浪の旅に出ることになったわけです。

山頭火は行乞行脚をしながらもお酒を飲みました。

「酔うてこほろぎとねてゐたよ」
「食べるものはあつて酔う物あつて雑草の雨」
などのお酒に関連する句があります.

54歳のときには泥酔して無銭飲食で山口警察署に留置されています。

酒で事件をおこすたびに酒を断とうとしたが、やめられず「業だな業だな」といって飲んでいたそうです。

また、「酒をやめようと思っているけれども、酒はどうしてもやめられない.句もやめようと思ったことがあるが、どうしてもやめられない.」とも言っています。

 

私の祖父は山頭火と俳友だったようです

祖父母が住んでいた広島県竹原市の家に、山頭火が何度も立ち寄ったと聞かされています。

旅日記 種田山頭火
昭和11年1月
「夫、妻、子供六人、にぎやかだつた。
幸福な家庭。
たいへんお世話になつた。
あんまり寒いので、九州へひきかへして春を待つことにした。
竹原の小西さん夫婦、幸福であれ。
私は新らしい友人を恵まれた。」

この小西さん夫婦というのが私の祖父母です。

祖母曰く「きちゃむさー坊主でのー」という山頭火は、小西家に来るたびにたくさんの書を残してくれたそうです。

しかし、残念ながら戦争やそれにともなう引っ越しのためにその多くは散逸してしまいました。

 

山頭火と水、そして淡如水

 

山頭火がお酒とともに愛したのが水です。

「しようしようと水をくむ」
「飲みたい水が音をたててゐた」

などの句がありますが、私が好きなのは

「へうへうとして水を味ふ」

という句です。

行乞途上 あとがき 種田山頭火
「鉢の子」には酒のやうな句(その醇不醇は別として)が多かつた。「其中一人」と「行乞途上」には酒のやうな句、水のやうな句がチヤンポンになつてゐる。
これからは水のやうな句が多いやうにと念じてゐる。
淡如水――それが私の境涯でなければならないから。

酒を飲み数々の失敗を重ねるたびに、酒や食べ物への執着を絶ち、「へふへふ」として生きたいと願う山頭火。

しかしそれがなかなか叶わない山頭火は“水”のような境地で生きることを常に願っていたのでしょう。

我が家に山頭火の「淡如水」の書が遺されています。

小学生の頃、どじょうがうねうねしているとしか見えなかったこの書に、山頭火の深い思いがこもっていることを知ると、押入れの奥にしまっておくのが少しもったいなくなってしまいます。

 

 

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