有島武郎は1917年に発表した「カインの末裔」で注目を集め、作家としての地位を築きました。
「カインの末裔」の主人公、広岡仁右衛門は粗野で乱暴でまったくでたらめな男です。
しかし「カインの末裔」の自作解説で、「主人公がいかに自分とかけはなれた存在にみえても、それもまた自己を書き現はしたものにほかならない」と有島武郎は言います。
カインの末裔
「カインの末裔」の主人公、広岡仁右衛門はある年の秋の終りに、何処からともなくK村に現れます。
そして、松川牧場の小作人となり、暴虐無人にふるまいます。
隣家の妻と密通し、気に入らないことがあれば、おとなであろうが子供であろうが男女の見さかいもなく殴りつけ、賭博におぼれ、農場の掟をやぶり、燕麦の横流しをし、さらにわが子を亡くしてからは手がつけられないほど凶暴になっていきます。
やがて、小作人集団からはみ出してしまった仁右衛門は、次の年の冬には松川農場にいることができなくなり、再びあてどもない旅に出ます。
カインとアベル
仁右衛門がその血を受け継ぐカインとは旧約聖書創世記4に書かれている“カインとアベル”のカインです。
カインはアダムとエバの子で、捧げものが神にかえりみられなかったことで、弟アベルを殺してしまい、この罪によりエデンの東にあるノドの地に追放されてしまいます。
さすらい者となり、罪の重さに耐えかねたカインは、「出会う人はだれであろうと私を殺すだろう」と恐れおののきます。
そこで、主たる神は、出会う者がだれもカインを撃つことのないようにしるしをつけてやります。
デミアンの考え
神はなぜ殺人という罪を犯したカインにしるしを与え保護したのでしょうか。
このことは、一般的には神の慈悲深さを表すものと考えられているようです。
しかし、ヘッセの小説「デミアン」の主人公ジンクレエルは友人のマックス・デミアンから別の考え方を教わります。
『カインは才智と勇気と節操をもった人だ』
という解釈です。
『けんかで弟をなぐり殺すなんて、たしかに実際あることだし、そいつがあとでこわくなって、へこたれてしまうことも、ありうることさ.しかし、そいつがその臆病のごほうびに、とくに勲章(しるし)をさずけられて、しかもその勲章(しるし)がその男を保護したうえ、ほかのみんなをこわがらせる、というのは、なんといってもずいぶん妙な話だよ』
と言って、次のように続けます。
『しるしというのは額に消印のようなものがついていたわけではなく、才智と勇気と節操を持っている人たちは、ほかの人たちから見ると、視線の中に非常に気味悪いものをもっているので、そのことをしるしと言ったのだ』
したがって、デミアンに言わせればカインが気高い人で、アベルは臆病ものということになります。
グノーシス主義
あるとき、ジンクレエルは父親に『カインをアベルよりいいと言いきる人がずいぶんあるが、このことはどう考えたらいいのか、』と聞きました.
父親は驚いて、
『そのことは原始キリスト教時代にも現われて、いろいろな宗派で教えられたもので、そのひとつは「カイン派」と名のっていた.
この気違いじみた教義は、われわれの信仰を破壊しようとする、悪魔のこころみにほかならないので、そのような考え方をするのはよせ』
と真剣にジンクレエルをいましめます。
ジンクレエルの父親が言った「カイン派」というのはグノーシス主義の一つです。
グノーシス主義はキリスト教の異端の中でも、正統キリスト教にとってもっとも手ごわかった相手です。
グノーシス主義の要点は〈善なる神〉と〈悪しき造物主〉という神について明確な二元論をたて、前者には純粋さと人々を救う慈悲心を、後者には非合理的な力とエネルギーを割り当て、両者の役割分担を重視していることにあります。
そして、善と悪が互いに拮抗しながら一体化して世界を動かしていくという考え方をするところに大きな特徴があります。
自己を描写したに他ならない「カインの末裔」
有島武郎は、『自己を描出したに他ならない”カインの末裔”』と題する自作解説で、
『人間の内部には、自分でも思いがけぬような欲求や思念が錯綜している.わたくしもまた同じで、生活の背後にはそれらが伏在しており、その各々に芸術的な表現を与えんとする欲望を感じて、筆をとるのだ.「カインの末裔」の主人公がいかに自分とかけはなれた存在にみえても、それもまた自己を書き現はしたものにほかならない.そこに人間の已むにやまれぬ生に対する執着の姿を見て貰ひたい』
と書いています。
このことは有島が彼自身の中の“カイン”をはっきりと意識していたことを示しています。
有島は力感あふれる筆致で仁右衛門のギラギラした強烈なエネルギーを描ききりました。
これは彼のなかの心的エネルギーがいかに大きいものであるかを如実に表しています。
そして、そのエネルギーが昇華され、「生れ出づる悩み」(1918)、「迷路」(1918)、「或る女」(1919)や「惜みなく愛は奪ふ」(1920)など、彼の文学の頂点といもいうべき作品群に結実されていくのです.
カインとアベル(創世記4:1-16)
さて、アダムは妻エバを知った。
彼女は身ごもってカインを産み、『わたしは主によって男子を得た』と言った。
彼女はまたその弟アベルを産んだ。
アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。
アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。
主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。
カインは激しく怒って顔を伏せた。
主はカインに言われた。
『どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。』
カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
主はカインに言われた。
『お前の弟アベルは、どこにいるのか。』
カインは答えた。
『知りません。わたしは弟の番人でしょうか。』
主は言われた。
『何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。』
カインは主に言った。
『わたしの罪は重すぎて負いきれません。今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。』
主はカインに言われた。
『いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。』
主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。
カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。